2017年1月30日月曜日

読書②


『テロルと映画』
四方田犬彦 著   中公新書

新しい年に景気の良い文章が読みたくて、多少のハッタリ
が混ざっていようとも、いつも威勢のいい四方田センセイ
の映画評論を読む。

「テロリスム」は、なるほど映画と切り離すことができな
い。私は犯罪映画を愛好するので、そういえば数え切れな
いほどのテロリスム、テロリストを映画の中に眺めてきた。
四方田センセイは本書において、ハリウッドで量産される
単純な勧善懲悪としてのテロリスム映画と、テロリスムを
そのような能天気な二元論で回収することなく問題提起す
る映画とを明確に区別して、もちろんおもに後者について
論じている。俎上にあがるのは、スピルバーグ、ブニュエ
ル、ファスビンダー、若松孝二など。

私はまだ『ミュンヘン』を観ていないのであった。









『映画もまた編集である ―ウォルター・マーチとの対話
マイケル・オンダーチェ 著  吉田俊太郎 訳  みすず書房

こないだの「村上さんのところ」のメールやりとりの中で春樹
が「おもしろかった」と書いていたので買ったのであった。

ウォルター・マーチはコッポラやジョージ・ルーカスと学生時
代からの盟友で、コッポラ作品の編集マンとして『地獄の黙示
録』『カンバセーション…盗聴…』『ゴッドファーザー』など
を手がけた。同時に彼はサウンド・エンジニアでもあり、多く
の映画のサウンドイメージを構築し、MAを手がけている。

編集とMAを同時に担当するということは、ポストプロダク
ションのおよそ8割を独りで占めていると考えていいのではな
いか。映画は「撮って来た映像」でしか形成できないのだか
ら、撮影現場で良い映像・音声を撮ることが重要なのは言う
間でもない。しかし、撮ってきた映像・音声を生かすも殺す
も、ポスプロ次第なのも事実である。そこにはまた別種の専
門性と創造性が必要なのである。

本書は作家のマイケル・オンダーチェが聞き役となり、ウォ
ルター・マーチがこれまで手がけてきた作品の技術的、時代
的、哲学的、創造的な側面について徹底的に訊いている濃密
な本である。マイケルは『イギリス人の患者』の著者であり、
その小説が映画化された『イングリッシュ・ペイシェント』
の編集とMAを担当したのがウォルターというわけである。
本書を読むなら『イングリッシュ・ペイシェント』『地獄の
黙示録』『カンバセーション…盗聴…』を観ておくとより楽
しめるだろう。

私はまだ『ジュリア』を観ていないのであった。

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