2011年10月15日土曜日

映画長話


蓮實 重彦, 黒沢 清, 青山 真治     リトルモア

雑誌『真夜中』でやっていた鼎談の連載をまとめたもの。
ちなみに私は蓮實重彦や青山真治の書く文章をまともに読もう
とは思わない。黒沢清の文章はわりと好きだけど。しかしこの鼎
談は読んでみたいと思ったし、読んで実におもしろかったことを
白状せねばなるまい。取り上げる話題を映画にしぼっている、
しかも2010~11年に公開された映画が話題の中心であるという
のがまず良かった。蓮實さんは見向きもされなくなっていた小津
映画に陽の目を当てた著書が有名だが、その一方で「いま」公開
されている映画を劇場に観に行きなさい、と講義でも繰り返し学生
をあおっていたらしい。そうしてイーストウッドやスピルバーグの新
作を学生に観に行かせて、スクリーンに「映っていたもの」の話だ
けをしよう、何が見えましたか? と訊いてまわるような講義だった
という。おもしろそう。ちょっと受けてみたい。
蓮實さんの講義を立教大学で受けて、のちに映画監督になった人
たち、誰が呼んだか「立教ヌーヴェルヴァーグ」なんていう気恥ず
かしい呼び方もあるが、そのなかの一番弟子が黒沢清、その10歳
ぐらい下が青山真治、という三人の関係である。

ちょっと鼎談の雰囲気を紹介するためにある一節を引用。イースト
ウッドの『グラン・トリノ』について。

蓮實 しかしね、世間ではあれ(註『グラン・トリノ』のこと)が感動的なアメリカン・ガイの物語と見られている、それには黙ってていいんですか。
青山 われわれは感動作だなんてひと言も言ってない。
蓮實 むしろ困った困ったとひたすら困惑しているだけですが。
青山 ヘンだということしか言ってないですからね。とてつもなくヘンなものがなんでこんなに映画として異様な現在として迫ってくるのかが困ると。
黒沢 まわりでもみんないいって言うんですけど、ほんとに? よくないでしょ? って言いたくなってしまって。
蓮實 下手とさえ言えるじゃないですか。いやあヘンですよ。もともと、下手であることを超えてしまうというのは彼の撮り方だったんだけれど、それが下手だとさえ思われなくなってしまったのはなぜなんでしょう。下手というか、これで本当に大丈夫? という画をずいぶん撮るじゃないですか。『グラン・トリノ』でも教会を外から二度、最初と最後のほうで撮るけれども、あれも酷いショットでした。
黒沢 そうなんですよね。
青山 困ったカットですね、あれは。
蓮實 ここに映っている十字架が大事なんだといったって、いくらなんでもこのショットはないよ、NGという酷さでしょう。にもかかわらず、というところが困っちゃう。
青山 あの人を下手だと相対化するためのうまい人がいないのが一番の原因でしょうね。
蓮實 ウディ・アレンの『それでも恋するバルセロナ』を見たんですけど、ウディ・アレンのほうがある時期まではうまいと思われてたでしょう。
黒沢 そうかもしれませんね。 
蓮實 今度のはなかなかいいところもありましたが。
黒沢 予告篇ではぜんぜんいい感じじゃありませんでしたが……。
蓮實 カメラは『マルメロの陽光』のハビエル・アギーレサロベで、ショットとしては悪くないんですが、全体としてどうなの? という感じです。ちゃんと撮ろうとしているんだけれど、なにせウディ・アレンという人は南国の光を撮れる人じゃないでしょう。舞台はバルセロナですからね、真っ昼間のショットが全部だめなんです。

まあこんな感じです。「ヘンだ」といって褒める、嫌いな映画は容赦なく
唾棄する、その繰り返しです。「その鼎談なにがおもしろいの」と思われ
た方は、すいません、今回は縁が無かったということで(笑)



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